お山

うちの前の山は名前がありません。

気になって色々調べたけど、地図にもアプリにも載っていないし、地元の中野の人に聞いても誰も知らない。役場の人も。

左隣の高森山はきれいな三角錐なので、山口や浅虫の人達からは霊山として敬われています。

右隣の屋敷山は土屋から見ると、集落の背後一際大きく、通称おさやま(山の長、長者の山)と呼ばれています。

真ん中のうちの山だけ名前がついていない。

あの山はだいたい国有林だけど、国有って、国民みんなのもの。国民の中でも今現在、自分が一番よくあの山を見ている。一番探検もしている。あの山が蓄え、きれいにした水を飲んで、お風呂に入っている。山の裾野で暮らし、山でとれた野菜、山菜、お米などを食べている。スーパーも行くし、マックもラーメン屋さんも行くけど、結構、自分の体の成分は山のものからできている。

これはもう、あの山はうちの山ということにして、名前をつけてもいいんじゃないかと、考えていました。

そして昨晩布団の中で閃きました。

うちの前の山の名前は『御山(おやま)』にします!

日本人は昔から山に敬う気持ちを込めて「お」をつけて呼んでいました。死ねばお山に帰るというふうにも考えられてきました。比叡山、恐山みたいな霊山はとくに「おやま」と呼ばれています。木曽の御嶽山、秩父の御岳山(みたけ)なんかはそれが正式名称になっています。

けど、ただのお山ではありません。お山と呼んでも私が勝手に名付けたとバレない裏に、様々な意味が隠されています。

まず「御」は「音」に通じます。自分は座禅が趣味なのですが、座禅・原始仏教瞑想は何か対象をイメージすることなく、自分の呼吸や身体感覚を観察することが基本になります。目は閉じたり、半眼にするため、視覚情報はほぼ閉ざされます。だから、自然に聴覚・音の占める割合が大きくなります。山に向かい合うと様々な音が聞こえてきます。小鳥の鳴き声、虫の鳴き声、風の音、山が反射する国道を通る車の音、、、。音の山、音山。かっこいい。

また、「御」はonにも通じます。かのビート詩人ジャックケルアックの代表作『路上(on the road)』は家をでて、大学を中退し、社会からドロップアウトして、自由に生きる放浪生活を描いたものでした。1950年代。

それから70年、自分は大学をちゃんと卒業するものの、就職活動をちゃんとせず、埼玉のベットタウンの家をでてふらふらしていましたが、縁あって青森の山のにある一軒家を中古で買うことになります。そして今この山の上に立ちます。on山(on the mountain)です。

また秩父の御岳山がそうであるように、「御」は「ミ」とも読みます。ミはme、つまり自分です。お山として敬うと同時に、あの山は自分だという意味が隠されています。myではありません。所有していません。山が自分で自分が山です。

またミは身でもあります。これは最初に述べたように、この身は山のものから結構できていることに繋がります。

昨日布団の中では「素晴らしい発見だ!早く思考をまとめねば!」といにしえの哲学者っぽく思ったのですが、こう整理して書いてみると、大したことではない気もします。

歴史

始まりは奥さんに言われた「私の実家は幸せの畑にあるの」という言葉だったかもしれません。
聞けば単に奥さんの実家のある場所が青森市の幸畑(こうはた)という地名であるだけでした。

あの会話をしたときは二人とも東京で会社員をしており、まさか青森で農業をするとは思ってもいませんでした。不思議です。

そのあと、東日本大震災があり、色々と考えて、あっという間に崩れないよう地に足のついた農的な暮らしにひかれていきました。

そんなことを考えていたら、奥さんの実家のある青森に引っ越すことになり、転職しないといけなくなり、最初はハローワークとか行ったりしていたのですが、履歴書忘れて面接に遅刻したりしているうちに、有り難いことに農家になることができました。

こうして多品目の野菜農家としてスタートしました。農薬・化学肥料は使わないで、固定種の野菜を育てて、野菜セットを定期宅配したり、こだわりのある自然食品店や飲食店におろしていました。

と同時に奥さんがパンを作るのが好きだったので、自宅の一部を加工場にして、農産物加工にも取り組んでいました。自分達で育てた小豆であんこベーグル作ったり。加工場のみで実店舗がなかったので、色んなイベントに出店していました。

就農したときに描いていたビジョンは『おばあちゃんの家みたいな場所を作る』でした。おばあちゃんの家みたいにほっと一息つける場所。家の前に畑があって、縁側で野菜や加工品を並べて売るみたいな雰囲気。

そんな場所を求めて、ここにたどりつきました。

ここは大石平。平内町中野の部落から少し山に入った所です。縄文時代からずっと雑木林。部落の共有の薪炭林だったようです。戦後、樺太から引き揚げてきた人や農家の次男三男が入植し開拓しました。手で。「最初はブルドーザーなんてなかったから、全部つるはしとスコップとねこ(一輪車)でやったんだ。」と大家さんは言っていました。

入植当時五軒あった家も最近は一軒だけになっていました。いま私たちが住んでいる家も長い間空き家になっていました。けど、そんな家族の大切な歴史があるから、家は大事にされていました(雨漏りとかありましたが)。私たちが引っ越してきて二軒になりました。

名前の由来

青森県の平内町、大石平という場所にあります。

大石平の語源はアイヌ語で
「イ ・シ  ・アン・ペ・タイ」
「それ・大きく・居る・者・林 」
イシアンぺは山の神を指すそうです。
だから山の神様がいる林という意味になります。

名前がついていない山を正面にのぞみ、豊かな雑木林が広がり、きれいな小川が流れています。

楽園です。

けど家中カメムシ。玄関にスズメバチ。畑に行く途中に毎回、へび。

はちみつ

蜜蜂がかわいい。以前は気にしたことがなかったけれども、飼ってみるとかわいいものです。つぶらな瞳。一所懸命に働く姿。ぷんぷくのお尻。木陰に巣箱を置いているので、畑仕事の休憩はいつも巣箱の隣です。たくさんのみつばちが蜜を集めに飛んでいくその不規則な姿が焚火とか渓流の流れのようで見ていてあきません。

日本蜜蜂は鬼ごっことかして遊ぶらしいですよ。触っても刺さないし。話しかければ向こうも慣れてくれるし。家を用意するだけで、えさもあげなくていいし、散歩もつれて行かなくていいし。そのくせ蜜はわけてくれるは、野菜とか果樹の受粉もしてくれるは。もうありがとう。できるだけ花を咲かせてあげるからね。恩返しが花を咲かせてあげることだなんて、まあなんて素敵なことでしょう!ああかわいい!

小麦粉

うちの奥さんはちょっと変わったところがあって、ストレスがたまると何かを捏ねたくなるという癖がありました。

今から12年前、長野県上田市に暮らしていました。縁もゆかりもない土地で、夫の帰りは遅く、初めての育児に疲れはてていた奥さんは、急に小麦粉をこねだし、パンを焼き始めました。ママ友に「パンを作ってる」と言ったら、「買いなよ」と言われたこともあったそうです。

そして、たまたま上田にはルヴァンというその筋では有名な自家製天然酵母を使っているパン屋さんがありました。

青森に引っ越そうか?仕事どうしようかなあ?というタイミングのときに、奥さんはそこに押しかけ修行みたいな感じでちょっと修行させてもらいました。

そして、なんだかんだで青森で農家兼パン屋になることができました。とても美味しいパンだったのでファンの方もついてくれていました。

だがしかし、最新の情報によると、うちの奥さんの直近の気持ちはパン屋さんでなく、餃子屋さんというか飲茶屋さんになって、水餃子とか肉まんをだしたいようです。

小麦粉を捏ねれれば、何でもいいのかもしれません。けど僕(夫)はパンを焼いてほしいなあ。

瞬間

特別な瞬間があります。

雪がとけてきた3月半ば、雪原をねずみがチョロチョローっと走ってるなあ、と見てたら、スーッと鳥が飛んできて、足でつかんで飛び去っていきました。けど小さい鳥だから、ねずみが重くて、ふらふらヨロヨロしながら飛んでいきました。『千と千尋の神隠し』の魔法をかけられた鳥とねずみにされたコンビそのものだった。

地面に小さい黄色い花束がたくさん落ちてたのは、イタヤカエデの花。

カラマツの枝にぶら下がっていた美しい緑色の宝石のような繭はウスタビガ。

薄暗い森の中で産まれた真っ赤なヌラヌラの卵はタマゴダケ。透き通った白い天使はドクツルタケ。紫のぷんぷくりんはムラサキシメジ。

私たちはごはんを提供するだけでなく、ここに来ていただいた人が特別な瞬間を見れたらいいな、と思っています。

ぜひ周囲を探検してみてください。山を周遊できる道もあります。小さい滝も、見晴らしのよい丘もあります。とても広いです。下手したら迷子になります。

菜の花


一番好きな野菜は菜の花かもしれません。

冬は芋ばっか。春一番にどんどん生えてくれる菜の花は久しぶりのうちの緑の野菜。ファイトケミカルなのかミネラルなのか、元気がでます。

蜜蜂も大喜び。菜の花畑は蜜蜂の羽音で賑やかです。

栽培も簡単。こぼれ種で毎年わんさかはえてきます。

菜の花と蜜蜂と私は一緒に生きています。

『仁義なき戦い広島死闘編』で千葉真一が言っていました。「わしらうまいもん食って、いい女抱くために生きてるんじゃ。」と。

自分の夢も可愛い女の子と結婚することと、食べ物を作る農家になることでした。

2つの夢が叶ったので、もういいかなと思っていたのですが。けどやっぱり日本人だから稲を育ててお米食べないと、と思っていました。

引っ越して家のそばに田んぼがあったので、ついにその想いが叶いました。けど山の棚田で水が少なかった。大家さんはポンプと大規模なパイプ引いて沢から水をあげていましたが、ちょっとうちには難しい。

山からしみでる水でまかなえるだけの小さくてかわいい田んぼで家族の一ヶ月半くらいのお米は自給出来るようになりました。

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